our HISTORY 前田製作所 創業75年の信頼と実績

前田製作所はおかげさまで2021年に創業75周年を迎えました。
創業者 前田磯友は、市場の動向やお客様のご要望に応えられるよう、常に先の時代を見据えて、新しい事業に果敢に挑戦して、製品の改良や新製品の開発に努めてきました。
前田製作所はこれからも創業者前田磯友の理念を継承し、変化する時代に柔軟に対応しながら、容器のパイオニアとして走り続けます。

▼ 前田製作所の歴史▼ 創業者 前田磯友の哲学

前田製作所の歴史

創業、株式会社設立(1946年〜)

1946年、終戦後間もなく、前田磯友は東京都葛飾区に個人事業として前田製作所を創業します。
創業社長と数名の従業員が一体となって、主に金属容器の製造を行なっていましたが、朝鮮戦争特需もあり、1949年に鋼製ドラム缶の生産委託、販売を開始します。
そのドラム缶事業の拡大に伴って、1955年には株式会社前田製作所を設立します。

創業者 前田磯友

東京本社(墨田区東向島)

千葉工場新設(1960年〜)

磯友は鋼製ドラム缶製造工場の視察のためアメリカ・ニューヨークへ渡るなどして知見を深め、1966年には千葉県市原市に千葉工場を新設、日本で最初の金属製スタッカーペール缶の生産を開始します。

千葉工場建築風景

さらに「環境保全は自らの手で」をモットーに、鋼製ドラム缶の再生工場も稼働させます。

ドラム缶内部洗浄装置

ドラム缶胴体矯正装置

海外事業展開(1970年〜)

1970年代に入ると、磯友は海外事業を展開します。
1972年には旧ソビエト連邦に初のプラント輸出としてスチールドラム缶、ペール缶、各種金属容器の製造並びに充填、金属印刷設備を輸出しました。これは当時の前田製作所の容器メーカーとしての製造技術、管理運営の経験を生かしたプラントでした。
さらに引き続き1975年以降、中国、台湾、イラン等の国々に、次々、プラントを輸出します。

1972年 旧ソ連邦に輸出されたドラム缶塗装乾燥炉

1986年 中国に輸出された鋼板レベラーシャーライン

海外メーカーとの技術交流も活発に行い、新しい製造技術のみならず、新製品の共同開発も行うようになりました。
1981年から台湾および中国に進出し、容器製造および印刷工場、さらに潤滑油委託充填工場や現地企業との合弁会社を設立して現地の経済発展に貢献しています。

海外企業との技術交流

国内事業拡大(1974年〜)

海外事業を展開する一方で、1974年には千葉工場に金属ペール缶全自動生産設備を導入します。

ペール缶全自動ライン

溶接機

ペール缶捲締機

ツル付け機

樹脂缶・リサイクル事業展開(1980年〜)

1987年には小型容器の需要の高まりに合わせて、プラスチックペール缶の製造販売事業に先駆けて進出します。

プラスチックペール缶

2005年には環境省の広域認定を取得し、長柄・周南リサイクルセンターを稼働させ、プラスチックペール缶の全国回収処理システムを実現します。

長柄リサイクルセンター

創業者 前田磯友の哲学

容器革命の最先端をいく容器メーカーとして

創業者 前田磯友が容器事業について以下のように述べています。

石油、化学、塗料、その他容器類の先発メーカーとして、他社の追次をゆるさず時代の要求に応じた容器革命の最先端をいく、当社は、

  1. 需要者がどんな形状の容器を望み、今後どんな形のものが要求されるか、又どのようにして使用したいかを探り、常に不断の努力、研究を続けています。
  2. 世の中で物が動いている限り容れ物は必要欠く可からざるものであります。
  3. 故に当社の将来性は無限大であり、尽きることのない偉大なる需要に満たされているのであります。

(前田磯友)

「容器革命の最先端をいく」という言葉には、国内のみならず、世界的にも物流の円滑化とコスト削減が大きな課題となった時代に中型・小型容器の普及を含め、物流改革に努力した磯友の、容器メーカーとしての誇りと強い思いが表れています。

経営哲学

競争相手を敵と思わず、いいものは採用する。
海外からも多くのことを教えてもらった。
新しい事業は投資は必要だが、やらないわけにはいかない。
世間で定着してからでは遅い。
(前田磯友)

 

「新しい事業は世間で定着してからでは遅い」という言葉の通り、市場の小型容器の需要が高まった際には、その当時の日本で主流であった「鋼製ペール」から「プラスチックペール」への転換をいち早く目指し、長年に亘る調査研究の結果、他社に先駆けて、プラスチックペール缶を上市します。

環境保全とリサイクル

今までのように産業も個人生活も多消費が美徳と思われていたのとは大きく転換して節約時代に入ったことは事実です。
特に無資源国に近い日本は世界のどの国よりも徹底して節約して行かねばならないと思います。
(前田磯友)

 

磯友は「環境保全は自らの手で」ということを会社のモットーとして掲げ、全社一丸となって資源の有効利用に努めることに取り組みました。
その取り組みが、鋼製ドラム缶の再生工場の稼働、そしてプラスチックペール缶の広域認定制度による広域回収システムの構築およびリサイクルセンターの稼働、と繋がっていきます。