ペール缶とは

PM20L 2本ビード鋼製ペールは1914年、55ガロン(200リットル)缶を 小型化した用途の必要性から、アメリカのベネットインダストリー社によって鋼製の5ガロン(18リットル)ペール缶が製品化されました。これはウイルソンパテントとして知られるもので、ラグカバータイプの缶でした。日本で生産が開始されたのは、朝鮮戦争真っただ中の昭和27年(1952年) です。

当時、アメリカ在日駐留軍の補給物資の輸送、貯蔵用容器として、いわゆる“JAN-P 缶(”Joint Army-Navy Speci cation)が製造されました。 鋼製ペールは、胴部の直径が同じ寸法のストレート缶と 胴部がテーパ(円錐)状になったテーパ缶に大別できますが、 当時はまだストレート缶のみしか製造されていませんでした。 また、当時の鋼板は自動化による溶接は不可能で、付き合わせ溶接して、地板と巻締めを行っていました。

その後、高炉メーカーによって現在も用いられている表面処理鋼板が製造され、溶接の自動化を実現させたばかりか、金属印刷も可能にした印刷された鋼製ペールを世に送り出しました。このころから各石油会社にも採用されるようになり、やがて高級潤滑油を始め、各種化学製品の容器として広く普及していきました。(ドラム缶工業会発行冊子「鋼製ペール」より一部引用・抜粋)

テーパタイプを日本で初めて生産したのが当社であり、昭和41年に新設した千葉工場で、日本で最初の金属製スタッカーペール缶の生産を開始します。その後、昭和49年には千葉工場に全自動生産設備を導入し、大量生産が可能になり需要が急速に伸びました。

日本初のペール缶全自動ライン

ペール缶巻締機

 

 

 

 

 

 

 

1967(昭和42)年5月1日にペール缶(当時の名称)のJISが制定されて、製品の規格が統一され、品質に関して諸規制が確立しました。用途も石油以外に、化学製品、建材関係、塗料またキャラクターを印刷したファンシー缶などに拡大し、今日に至っています。